デモといふもの

雑念

新型コロナの騒動が落ち着きを見せかけたところで勃発したアメリカのデモ。を口実にしたヒャッハー事件に心を痛める私です。

お兄さんを亡くされた弟さんの冷静で、しっかりとした言葉が心にしみるのと同時に、暴動に走った人たちのせいで肉親を失った悲しみに暮れる事もできない弟さんが気の毒でならない。

デモ=示威運動=一定の主張や要求の実現のため、多勢で集会や行進などを行い勢威を示すこと。 また、その集会や行進。 デモンストレーション。

普通に意味合い的にも、デモを口実に破壊行為や略奪行為を行う意味合いは皆無です。
色んな事情が絡み合って、うっぷん晴らしであったり、常に貧困にあえいでいるからであったりもあるかもしれないけれど。

ただニュースで見ると、デモに参加されている方が、暴動を起こす人たちを止めに入ったり、デモ参加者と警察官が対話し弔意を表し合ったりと、暴動以外の美しい人間の姿があったりして、胸がキュンとなる瞬間もある。これが救いかもしれない。

なにより一番恐ろしいのは、アメリカへの(或いはトランプ大統領に対する)打撃を与える意図をもって先導しているアメリカ人以外の何者かによる扇動です。

乗せられている人は、「人種差別と戦う正義の自分」に酔って、或いは「いつも圧迫されているから、こんな時くらい尻馬に乗る」などなど…その本質には気づけないまま破壊行動に熱をあげてしまう。
そして打撃を受け黒煙を上げる首都を見てほくそ笑む扇動者。そんな構図が一番怖い。

実際今一番アメリカに打撃を与えたいのは、香港問題でアメリカから経済的な圧力を与えられようとしている中国じゃないのか、とネットでは噂になっています。
中国人である彼らは広く深く様々な組織に入り込み、その中枢の掌握に成功させてきています。
それ自体は、素晴らしい事でしょうけれど、政府の一声で「はい」と意のままに動く可能性がある人々であることを失念してはいけない。

「差別」と言う人類史上での汚点の一つは、いまだに根深く私たちの中に沈殿し、意図せず浮上しては知らぬうちに誰かを傷つけ、時に傷つけられる問題です。

差別される人が「おかしい」と声をあげ、それに耳を傾け、改善に動く。
これは素晴らしい歴史の一点ではありますが、行き過ぎるとハリウッドのポリコレ問題のような捻じれが起きたり、暴動を批判したことを謝らされる某企業人のような人を生んだりする捻じれを起こす。
被差別側が「被害者様だから優遇すべき」と声を荒げる事も散見しては、「それは違うだろう」と思う。思うのに、「被差別者側が間違っている訳が無い」と言う妙なバイアスがかかって潰される言葉もある。

もうね、解決する方法なんて、人類補完計画しかないのかもね(投げやり!)